これには、次の三つがある。①自存自衛②東亜民族の白人からの解放③日本民族が一流民族であることの証明、である。開戦の詔勅は①による。東条英機や帝国陸海軍の意見は②である。③については文化人の日記に見る程度で論及する人はあまりいない。
①については残念ながら敗戦により失敗した。②については、保守層では支持する人が多いし、当時の日本人の多くもそのような考えを持っていたが、それは主目的とまでは思えない。それに大東亜戦争に先立つシナとの武力闘争(これを日本は戦争とは呼ばず事変とした。相手が土匪のような卑劣な戦い方をしたこととシナがまともな国家の体をなさず弱過ぎたため戦争の名に値しないと判断したからである)とどう関連するかの説明がやや困難である。そしてそもそも他民族の幸福のために自らの命を賭けるというのは、キリストならぬ国家としてはお人好し過ぎる。これを副次的目的とすることには全く異議は無いが、国粋主義者の私でも主な目的とまでは主張できない。
私は③こそが真の開戦理由であり、これは完全に達成できたと考えている。
インドとシナが西洋諸国に屈服した後、アジア諸民族は二流三流の人種となってしまった。日本まで戦わず膝を屈すればアジア人全員がインカ帝国やアフリカの人々のように扱われる(扱われなくても白人の心の中で見下される)時代が長く続くことになる。最後の防波堤として日本が立ち上がったのである。防波堤は崩れたが土台は残った。その結果、日本人はもちろんアジア諸民族も決して白人の奴隷や下男下女に甘んじる人種ではないということが世界に証明された。永久に残る日本の功績だと思う。